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由来

江戸初期 1617年……

日光東照宮に参拝した二代将軍徳川秀忠の一行がある日、穀倉地帯で湿地帯でもあったこの辺で豪雨に見舞われ、配下の者13名が命を落とすという大惨事に遭いました(徳川実記より)。


その後、地元の要請もあり1630年千住宿〜越谷宿の中間点である草加宿は整備され、新たに伝馬の認可を受け、事故の多かった宿場間の距離を縮めて人馬の負担を軽減したとのことです。こうして草加宿が日光道中の伝馬宿として生まれました。

伝馬は室町時代から存在していましたが、それは強制的な戦の準備などのためで、制度として確立しておりませんでした。この時代より幕府は人と荷駄の伝馬賃金を定め(当初、1人:一里十六文)、さらに宿場の大きさにより人役・馬役の数も定めて(当初、人夫25・馬25)、誰でも利用できる制度として確立しました。しかし幕府は道中奉行が発行した御朱印を持つ幕府要人、日光名代、門跡方、公家衆には無賃で利用させていたため、日光東照宮参拝が年中行事になるにつれ、無賃利用者も増え、伝馬業のやりくりが大変厳しくなりました。

その結果、彼らは効率を上げる必要に迫られ、何軒かを取りまとめる伝馬業者の代表格として「大馬屋」が誕生するに至りました。他の利用者の中には、東照宮への宮大工、会津藩、伊達藩、一般人などもいたようです。


時が移り、幕末を迎えると伝馬制度はなくなり、生活の糧を失いました。さいわい日光道中筋で往来があるため、人々を相手に、コメ粉の餅(しんこ)に塩を入れて焼いた「塩せんべい」を販売し、生業としたのが「大馬屋せんべい」の始まりです。このように大馬屋は草加宿と深く関わりながら、今日まで歩んでまいりました。

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せんべい一筋160年、本場本物の草加せんべいの老舗【大馬屋】です。出張手焼き実演販売等も行っております。